はじまる転職・外資系ITのキャリア (はじてん)

外資系IT企業への転職を機に四半世紀を過ごし、海外勤務も含めてキャリアのチャンスにも恵まれた後に、現在はFIRE生活を送っています。

「外資系IT企業」への転職でチャンスを掴む。

少し前に「勤続18年で手取り13万円」というネット上の投稿が物議を醸しましたが、僕も、世に出た当初は勤続年数は短かったものの、同じ様な環境でした。地元を離れて東京で一人暮らしで、手取りはまさに13万円程度だったと思います。そこから5万円家賃を払って、食費に水道光熱費、仕事以外に勉強したり、リフレッシュするお金なんて捻出出来ませんでした。

なので、何とか残業代で余裕を生もうとするのですが、ただでさえ通勤も長い上に、時間がなくなれば無くなるほど、疲れて外食、ストレスが溜まり散財・・・と負のループに陥り、まさにワーキングプアだったと思います。

地元を離れたくなかったので、地元のIT企業に就職をしたのですが、研修も含めて入社から3年は東京支社に配属となり、その後、地元の本社に戻れる、という説明に魅力を感じ、給料が少ないのは仕方がない、3年の辛抱と思い入社しました。

要は、本社では、経験のある社員で請負のソフトウェア開発を行い、新入社員は東京へ出稼ぎに出して、客先常駐の派遣業だった・・・。という、今になっては典型的なIT土方だったのです。

当時はまだ「IT」という言葉もなく、インターネットもそれほど普及していませんでしたので情報も手にできず、情報処理分野のプログラマという仕事で、IT業界の利益構造も良く分かっていないまま世に出てしまったのです。

3年は頑張りましたが、その会社の先輩や管理職を見ても、将来の自分がなりたい姿ではなく、僕にとっては、どちらかというと反面教師の様に映りました。

留学経験があったので、語学を活かしたい気持ちもあり、転職の可能性を探り始めましたが、そもそもインターネット自体がそれほど発達していなかったので、書店で転職の本を数冊買い求め、その頃は「ヘッドハンター」と呼ばれていた転職エージェントへ電話を掛け、面談をしてもらいました。

そこで紹介してもらったのが、最初の外資系IT企業でアメリカに本社を置くソフトウェアパッケージの開発・販売をしている会社でした。その会社への転職では給料が倍になり、やっと東京で人並みの暮らしを始めることが出来る、キャリアのスタートラインに立てた気がします。

それからは、入社早々に長期の海外出張へも行かせてもらい、英語も使いながら世界各地の同僚と協力しながら仕事をする多くの機会に恵まれました。

転職を申し出た時には、まだ転職が一般的ではなかった時代でもあり、今では考えられませんが、その会社からは「退職届を受理しないので辞められない」などと言われ「転職を阻害」する様な事も散々言われて、とても苦労したのですが、あの時の踏ん張りがなければ、今の自分は無いと思います。

その時、相談していた小さな転職エージェント会社の社長さんに「気にせず無視して、次の会社に行ってください。」と背中を押してくれたのは今でも感謝しています。